ビルマを訪れてA
2012-01-23


こんにちは、インターンの津田です。
今回も、前回に引き続きビルマ訪問についての記事を書かせていただきます。

前の記事でヤンゴンの印象について述べました。
思っていた以上に活気があったというのは事実です。

しかし、よく知られている通り
ビルマと言えば軍事政権というイメージが強いと思いますが、
それによって自由が抑圧されているのも事実です。

昨夏の時点での話ではありますが、
そのことについて私が感じたことを少し述べたいと思います。

私たち自身、滞在中「スーチーさん」などの反政府寄りと悟られる言葉の使用には
かなり気を付けました。
現地で世話をしてくれたガイドさんも、私たちと深く関わっていることがばれないよう、
ホテルまで付いてくるのは避けていました。
(外国人を「(政府から見て)反政府系」のところに連れていく現地人は、ヘタしたら逮捕されてしまうのだそうです。)

ビルマでは、
自由に思っていることが語れない、
人々は自由に外国からの訪問者をガイドすることさえできない。
これが実情です。
(外国人だけなら、どんな行動をとっても基本的には見逃されるようです。)

活気と抑圧。
この国にはたしかにこの二面が存在します。

そして、その間には「あきらめ」と「無知」があるように見えました。

「あきらめ」。
人々は表現や言論の自由、思想の自由を抑圧されています。
しかし、それを除けば、とくに問題なく生きていけます。
仕事も見つけられるし、テレビもある。国内国外関わらず移動の自由もある。
家庭を築いて、幸せな生活を送ることができる。
ビジネスで成功すればお金持ちにもなれる。
ぱっと見、不自由はないのです。
(もっとも経済発展の停滞は大きな問題点であり、2007年のデモも発端はそこであったのですが。)

しかしそこには、政治についてとやかく言ったり、
経済政策や外交政策について議論を交わしたりする自由がないのです。
政府がやっていない社会福祉をサービスしているNGOに自由に寄付することも怖くてできないと言います。

だが、これらの自由をあきらめ、規定された枠組みの中で生きることを決めたら、
それなりの生活を送ることができるのです。
ビジネスで成功している人や、政府系機関で働いている人の多くがこれに当てはまるといえます。

政治活動に奔走している側の人々から見れば、そんな彼らは、
国全体に漂う矛盾を問いただしあるべき自由を奪取するということを無理して行うよりも、
自分が平穏な生活を送ることを選択した人々です。

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